三井物産卒業の辞

(平成17年3月23日 中部支社店内会議にて)

ご承知の通り小職は3月末日で退任し、物産会社を卒業します。引継ぎの関係で4月末まで執務はしますが、今回が実質的には最後の全体会議に成ります。36年間に渡る物産生活で体験した事、4年間支社長として発信した所感、仕事に対する姿勢、私なりの人生観を、総括の意味を込めて最後の所感と致します。

会社生活を振り返ると、課長、部長時代が一番充実していたと感じます。何故ならば、直接営業の第一線で戦っている事、その下に多くの部下が居る事、部下に仕事を通じて直接的に影響を与えられる事、将来を背負う若手社員が一番身近で言動を見ているのは課長、部長であり、当社の組織の根幹であると痛切に感じます。次世代の物産を担う皆さんに、小職の経験を披瀝し卒業の辞と致します。

その後に1985年12月に開催された全店部長会での橋本相談役の講話ビデオを放映します。当社が伊藤忠に抜かれ、売上高で第三位に転落した直後の全店部長会で、小職は直前まで秘書室で橋本相談役の担当秘書でしたので、直接講話を聴き、広報室に頼んでビデオを貰い、その後は何回も見て自分の頭の整理や生き様の参考にして来ました。
先般のMBK LIFEの「私の心に残る一言」の寄稿の際に改めてビデオを見て、小職の発信、行動の原点である事を再認識しました。前回の全体会議で放映したNHKの経済羅針盤「三菱商事。小島社長に聞く」特集と重ね合わせて、次世代を背負う将来の幹部を教育する立場にある皆さんが、何かを感じて戴ければ私の拙い所感よりずっと心に残ると確信します。

【悔いの無い物産生活を】
サラリーマンである限り必ず卒業は迎えます。その時に振り返って悔いの無い生き様をしたか、自分を誤魔化して逃げて来なかったか、心のどこかにトゲの刺さった様な後ろめたさを残し、会社を去る事は誠に寂しい事だと思います。自分を誤魔化さず信じる処を率直に愚直に発信し行動して下さい。
ある部長が離任の際に「支社長の言葉で一番心に残ったのは“徳を積め、利は後から付いてくる“です」と言いましたが、会社生活も同様で会社での地位は飽くまで自分の信念と仕事を一生懸命にやって来た結果であり、地位の為にずる賢く立ち回り、言うべき事に口を噤み、上司の顔色を伺いゴマを擦って陰で不満を漏らす様な生き方、遣っている振りなどは、他人は誤魔化せても自分自身は誤魔化せません。信念を持って信じる事や言うべき事を堂々と発信する姿勢を貫いて下さい。実際には大変難しい事だと思いますが、その生き様を常に意識し立ち止まり、振り返り、勇気を振るって行動して下さい。
異論、反論、議論を重ねる事で、より良い物産を構築して下さい。それを許すのが、「自由闊達な社風」と言われる会社だと思います。本当の意味で、自由闊達と感じる三井物産に早く成る様に皆で努力して下さい。先輩諸氏が営々と築き上げた当社の信用を壊す事無く、次世代に引継ぐ事が我々現役の責務です。トヨタが良く使う言葉で言えば、「当たり前の事を地道に愚直に最後まで成し遂げる覚悟と気迫、気概」であり、その姿勢を持って顧客第一、市場の目線で誠実に対応する事だと思います。中部支社が、今日この地で段突の信頼を得ているのも先輩諸氏がその姿勢を貫いた結果であると信じます。正に「徳を積め、利は後から付いて来る」です。

我々昭和44年入社の同期生は186名です。内、7名が役員に任用されました。我々よりずっと優秀な仲間が時の運、上司との関係などで、早くに卒業しました。物産で常務まで登用ねがい持って瞑すべし、の心境です。寧ろ、後輩諸氏に、より良い物産、引続き市場から尊敬される物産である為に、最後まで自分の信じる処、体験を踏まえての意見をfor the companyの視点で発信し、行動した事に大変な満足感を持って退任出来る幸せを感じています。
嬉しい事に多くの社内外の方々から過分なるお言葉を頂きました。この地元の多くの方々から、名古屋を離れても変らぬ交流のお申し出も頂きました。男冥利に尽きます。
皆さんも何れ訪れる卒業の時に、悔いの無い物産生活であった、と実感出来る生き様を貫いて下さい。人生の価値は、自分を誤魔化さず、阿る事無く、驕る事無く、淡々と自然体で人々との出会いと縁を大切にし、生涯に亘る交流の輪をどれ程多く持っているか、だと思います。その意味で物産生活最後の四年間をこの名古屋の地に勤務させて戴いた会社に感謝・感謝です。

【商人である事】
当社は設備も技術も持たない人材だけが財産の会社です。世の中に商社が当社だけであれば別ですが、多くの他商社が同じ様に切磋琢磨しています。現在の物産の名声は、百年を越えて先輩諸氏が営々と築き上げた産物であり、これがこれから百年続く保障は何処にもありません。市場から選択される商社に成るには、結局社員一人一人が「個を磨く」以外に奇策はありません。しかし、大切な事は如何なる教育制度やルールを作り、上司が高邁な理想を発信しても人は育ちません。当社の社員は皆優秀であり、上司のやっている振りは見事に見抜いています。東京の様に会社対会社のサラリーマン社会と違い、地方は個人対個人の色彩が極めて強く、市場や顧客はもっと厳しい目線で我々をじっと見ています。当地区が閉鎖的と言われる所以ですが、それは人物が本当に信頼に足るかを冷静に見ている丈で、一度信頼を勝ち得たら本当に面倒見が良い地域である事は皆さんが良くご存じの通りです。「顧客第一、従業員を大切に、受けた恩は人が変れど忘れない」。アメリカ経営手法の蔓延で数字が全て、アナリストが全ての風潮の中でも、日本古来の商人道が色濃く残っているのが名古屋の地です。その市場で皆さんは戦っている事を強烈に意識して何をすべきか、を考え発信して下さい。存在感のある人材が一人でも多く輩出する事が、当社の強さの基盤に成ると思います。

資源の無い我が国では、資源投資は重要な戦略です。しかし同時に市場に密着し日々の地道な細かい商売を通じて築き上げた信頼、信用が次の発展、投資に結び付くのだと思います。当社は今、この点に対する意識が薄れている様に感じますし、当地区の顧客は我々以上に敏感に感じ取っています。後輩諸氏に美田を残すのは、現役の責務である事を意識し、我々は飽くまで前垂れ商人である事を忘れずに日々の業務に立ち向かって下さい。「撃って出なきゃ、商社だもん」です。

【個を磨け】
着任以来の全体会議での所感を見直しますと、「情報に敏感で、危機感と緊張感とスピード感を持って、市場、顧客に提案、行動せよ」、「やっている振り、やらない理由をなれない理由に摩り替える事無く行動せよ」など同じ事を繰り返し繰り返し、具体的事例を披瀝しながら発信しています。原点は最初に申し上げた「悔いの無い物産生活」と「商人である事」に凝縮されますが、原理・原則を踏まえ本質を確り認識した自分の判断、行動の基軸を確立する事の重要性です。
これは結局は切磋琢磨し、「個を磨く」以外に無いと思います。吉川英治は「我以外皆我が師」と言っていますが、特にこの地の顧客は自分の銭で所帯を張っている緊張感と凄みがあります。日常業務を通じ学び取る事、自ら求めて見識者の生き様に学ぶ事だと思います。キッシンジャーは「歴史と地理に学べ」と言っています。歴史に学べは、商売では過去の経緯や曰く因縁を勉強する事ですし、地理に学べは、常に現場に出掛け自らの目と体で感じて判断しろ、の意味だと思います。そして、最終的には自分の責務を強烈に意識し「らしい仕事に徹する」事だと思います。部長は部長らしい仕事、即ち、部長だから出来る仕事、部長だからやるべき仕事に徹する事です。これは社長も経営会議メンバーも支社長も同様です。丸投げと権限委譲は全く違います。常に自分が個人事業主であったら、その様な対応をするか、自分が個人事業主であったら、そんな物産と付き合うか、自分が個人事業主であったら、そんな投資をするか、を自問自答しながら正々堂々の王道を歩む姿勢で仕事をして下さい。幸いに物産会社はその王道を歩む事が許される体力があるのですから。

【結びに】
未だ言い残し度い事はあります。四年間の全体会議で色々な所感を発信し今も支社HPに掲載されていますので時間があればそれを読んで下さい。少しで皆さんの参考に成れば幸いです。
36年間を振り返ると、色々な事や多くの人達との思い出が走馬灯の様に頭を駆け巡ります。我が母校の校歌に「集り散じて人は変れど、仰ぐは同じき理想の光」と言う一文があります。会社も全く同じで一種の駅伝です。先輩諸氏から受け継いだバトンを、次の代により良い形で伝達するのが現役の責任です。
中部支社も多くの仲間が集り散じて、夫々の分野で元気に活躍しています。縁があって同じ時期に中部支社で職を共にした仲間の交流が今後も続けば何と素晴らしい事かと思います。その為にも自分を偽らず、皆から尊敬される生き様を貫く事が大切だと思います。
小職は短気で、適当に流す事が出来ない性格ですので、多くの皆さんには煙たい存在であったかも知れません。For the companyの原点に立ち、皆さんが今後も物産の中で尊敬される人材に育つ様に随分と厳しい指導も致しました。
嬉しい事は既に東京に戻った支社の若手社員が退任の報に接し一番に電話を呉れて「東京で中部守山会を結成し時々飲みながら、又、支社長の罵声を聞き度い」と申し出て呉れた事です。
来月中旬に、後任の三浦新支社長が着任します。新支社長を支え引続き存在感ある支社にして下さい。しかし、地場の商売に一番精通しているのは皆さん自身です。堂か自信と使命感を持って、中部支社の良き伝統を守り、以って会社の発展に寄与する覚悟と気概で頑張って下さい。 殆どの人が何れ東京に戻ると思います。一足先に東京で皆さんの戻る日を待っています。
健康第一ではなく、健康が全てである事を忘れずに元気で活躍して下さい。

【橋本相談役 全店部長会議講話ビデオ(1985年12月)】
伊藤忠に売上げが抜かれ三位に成った話を聞いて、私自身は非常な屈辱感を感じた。分析すれば色々あるかも知れないが、矢張り抜かれたら抜き返す精神が無いといけない。今は上位六商社には余り違いが無く、三井、三菱と言えども何時までも安泰とは行かないし、下手をすると四位,五位に成るかも知れない。
「当社の社風は自由闊達である」と言うのは、我々が言い出した言葉であるが、自由には責任と義務が伴う。当社は横に悪く縦には良いとされているが自分の経験では縦も良く無い。上意下達、下意上達が必ずしも良く無い。昭和46年に、会長に成った時に会議で「高度経済成長は48から49年で終りに成ると思う」と話した。多少でも関心を持っている人なら、夫々の部署に戻ってその話をしているはずだが、聞いて見ると誰も知らない。なる程良い事を言っているから、自分の部に通達しよう、とか、或いは、自分は反対であるからその方針は取らない、とか、何らかの反応が無ければ、何度部長会議をやっても意味が無い。会議の中で一つでも良いと思う事があれば取り上げ実行する。若し違っておれば、自分はそうは思わないと反論すれば議論にもなる。ただ聞くだけでは意味が無く、聞いた結果どうするかが重要。

私は神戸の食料品問屋に生まれたが、番頭が三井物産神戸支店へ掛け取りに出掛けるのでよく番頭に付いて神戸支店へ行った。別に掛取りに行ったのでは無く当時神戸に二台しか無いエレベーターの1台が神戸支店にありそのエレベーターに乗り度くて番頭と一緒した。ある日番頭に「よく三井物産へお金を貰いに行くが物産会社と取引きしてどんなメリットがあるか」と聞いたら「口銭は取られるし余りメリットは無いが三井物産と取引きしていると銀行がようけ金を貸して呉れる」と言ったのを覚えている。その時分は物産会社は存在する丈で意義があった。儲からなくても問屋が三井物産に足を運んで呉れた。
昭和32年の業務部長時代に「第一次商社斜陽論」が出たが当時水上社長に「一体商社のメリットはどういう処にあるか」と聞いたら「銀行の代貸しをして呉れる程度かな」と言われた。その時分から商社は反省しなければ成らない物がぼつぼつ出て来ている。今や存在する丈では意義もないし金貸す丈ではメリットも無い。それ以外の処に自分の存在理由を求めるべきで黙っていても問屋が付いて来る時代は既に過ぎ去り難しい時代に入った事を先ず認識する必要がある。

昭和41年に木下産商を合併して三菱商事を抜いた。その時三菱は極秘で「菖蒲作戦」と称して何処が三井物産に劣っているか、堂すれば三井物産を抜けるか、を社長以下全幹部で作戦を練りそして何年か後にスパッと三井物産を抜いた。伊藤忠がそれに該当する作戦を立てたか知らないがハイテクノロジー商品、例えばエレクトロニクスに関する取組みは我々より遥かに先に進んでいる事は事実。三菱や当社は後ろに企業軍団がある為か安住してハイテクへの取組みが遅れている。又、中国に対する力の入れ方も非常に強く北京に専任副社長を常駐させ当社は随分商売を取られた。欧米でも顔の商売は大事であるが特に中国は顔の商売が重要。その点に早くから手を打っている。利益の面でも皆が駄目だと止めて行った繊維商売は利益率も高く良い商売をしている。繊維に関しては伊藤忠は大エキスパートである。これらが3位に浮上した原因では無いか。我々はこれに対しどの様に対処するか。お題目を唱えても会社が良く成る訳は無く矢張り綿密な作戦と努力の積上げが重要。 例えば軽電にもっと力を入れたらどうかと言う時期があった。その時分は電気機械部で余り軽電に力を入れなかったので「物資部でやるか」と言ったら「商品を物資部に渡すのは嫌だ」と言う。人が足らないなら業務から人を纏めて出すと言ったら「年寄りばかりで部の秩序を乱す」との返答で結局何もやらなかった。衰退する商品で100万円以下の商売は全て止めても当社全体の取扱高の5%しか減らない。全部止めたら堂かと提案したが否決された。衰えて行く商品を切り、人材を伸びて行く商品で活用する、それらも含め新しいプロジェクトを如何に取上げて行くかをトップと中間管理職が腹を合せ作戦を練る事が必要だが上と下の対話が切れている様な感じがする。

私は余り書類を読まない。相談役になり可成り減ったがそれでも相当来る。これらの書類は殆ど読んで無いが読まなくても私の知識に何のマイナスも起こらない。如何に無駄な書類を作成し回しているかを反省する必要がある。日報や月報も参考に成るが良い事ばかりが書かれており、やられた話は一つも書いて無い。こういう処でこうやられたから次はこういう方針でやり返す、と言った反省があれば大変面白く参考になる。何処かで一番に成った話は気分は良いが当社の経営には余りプラスに成らない。別の言葉で言うと情報が流れる丈で反省が無い。耳の痛い事を雅量を持って聞き雅量を持って処理する姿勢が無ければ当社は衰える一方である。

私の尊敬している友達で再建王と言われる大山梅雄氏の基本方針は「入るを図って出るを制す」である。100円の伝票まで社長自らが目を通している。又、新会社に行ったら先ずその業界の優良会社と自分の処のバランスシートを比較しどの部分で劣っているかなど製造原価その他を全部研究する。それを踏まえ弱い処を全力を挙げて改善するから直ぐ会社は良く成る。商社にその原則が当てはまるか堂かは分らないが自分の悪い処を認識する雅量と見識が必要。それは本部にも営業部にも同様に必要である。

取扱高の中身とか色々あろうがそれは末節の問題で抜かれた事は抜かれたとの認識が必要。当社もランキング3つ星から2つ星に落ち取扱高の成長性が悪い。要するに資産の内容が進歩しない処から来る星の落ち方でこれは甘んじて受けねば成らないが絶対に3つ星の会社に取戻さねば成らない。諸君に屈辱感があれば必ず取返せると思う。
唯、私の周辺には多くの三井ファンが居るが「最近は物産からの新しい提案が少ない。好きで無い他所の会社から提案が来ると来た物が良ければ採用せざるを得ない」と言う。
自動車も二木会で豊田章一郎さんに物産会社を援助して欲しいと言うと豊田さんは「やりましょう」と必ず言うが実際は仲々難しい。物産に商権を渡すメリットや意義を非常に追及される。社長同士が話したら自動車の商売が自然に増える事は絶対に無い。社長同士の話に対し成る程物産を使った方が良いと浸透させる様な動きを現場が遣らなくては行けない。これは何処でも同じで社長の話をフォローしなければ何も無かったと同じ事に成ってしまう。従って私の見ている処、新しい部門も出来ているが概して全世界を通じ当社は新規の取引先の設定が少ない。そして従来の取引先が減っている。海外に出張したりしてその店の商売資料を見ると非常に良い成績を上げている店でも10年前と一つも変らない取引先リストが出て来る。その国に新たな企業軍団が台頭しているのに全く商売関係が無い。世の中の変化に何も対応していないのにそれでも店は黒字だと問題無し、とする欠点が当社は昔からある。石油化学の部長に成った時、これは駄目と言う会社を2件潰した。その当時で一つ7千万円の損害だが1年経つと7億円に成ると思い2件潰し1億4千万円の不良債権を出した。自分はやっても見込みがないし当社の損失が大きく成るので当然潰すべき物を潰したと思っていたが宮崎審査部長が「君は1億4千万円もの不良債権を出したから社長に謝りに行け」と言う。 私にはそういう感覚は全然無かった。良い事をしたと思っているから宮崎部長と大論争した。しかし考えて見れば私も月給取りだから謝りに行った方が良いかと思い、後日水上社長の処へ行ったら「1億4千万円は近来に無い不良債権だから注意したまえ」と言われその年のボーナスは初めて5万円減った。数字丈で中身を検討しないのは当社の欠点で人事も学歴とか調子が良いとか黒字を出していると言う事で出世するのは大間違い。戦前の三井物産と戦後の三井物産はそこが違う。

統率力は厳格さが無ければ出ない。私は随分人を叱ったが可愛いから叱るのであり統率力には厳格さが伴う。但し厳格には温情が無いといけない。厳格と温情は裏表。又、厳格であると同時に公平無私、率先垂範でなければいけない。
この3つは諸葛孔明が三国志で言っている通りで必ず実行して欲しい。何故それを言うかと言うと当社は下にスイートトーキングをやる人が評判が良くなり偉く成る。その辺に間違いがある。

私はアンチ巨人であるが当社は今年の巨人軍に似ており新興して来る会社は阪神に似ている。阪神の吉田監督は「私の監督としてのポイントは3Fである」と言う。一つはフレッシュ、初心に返れと言う事で社長以下全社員が初心に返る必要がある。それが阪神を成功に導いた一番大きな原動力。2番目はファイト。余り纏まっていないがファイトがあり野球が面白かった。3番目がバースさんが良く言っているfor the team、自分の為では無くチームを優勝させる為。自分の任期中に良い仕事をやろうと思ったら絶対出来ない。 自分の何代か後にこの仕事を残すと言う精神が無いと駄目でそれをやる人とやらない人を見分けるのが人事。自分の時だけ無難に済めばOKとの考え方が今の独立採算性の悪さ。信賞必罰、人事の問題に繋がって行く連携が無いと独立採算の精神は生きない。当社で独立採算の弊害が出ているのは儲けておれば良いと言う考え方。儲けに上限が無いのが独立採算の精神。けれども赤字で無ければ無難に偉く成れる処が当社の悪い処。
九州耐火の長崎社長の「土佐っぽ」と言う自叙伝を貰ったがその冒頭に「自分は過去60年に渡り煉瓦の商売に一身を投じて来て技術は日本一流で立派な煉瓦、建築材料を作る会社に成った。人生の末期に近づいて今思う事は日本一の煉瓦を作る会社は出来たがその中に入る人間を作る事を忘れていた。建物はどんなに良い物でも50年か60年で建替えるが中身の人間は200年も300年も続く。その精神を忘れていたから今非常に忸怩たるものがある」と書いている。当社はこんな立派な本社ビルで居心地の良い処は無い。この会社にじっとして居たら長生きするだろう。けれども諸君それでは駄目。矢張り「撃って出なくちゃ、商社だもん」。商社と言うのは受けて立っていては駄目で切って出なくては駄目。それを今の長崎社長の建物と人間の関係で非常に感じた。

私が新会社をやっていて非常に難航し困った時がある。とても私の力ではこの会社の人心を上向ける事は出来ないので先輩の向井忠晴さんに会社の士気高揚に資する激励の言葉を頂く事にした。向井さんの事だから会社がたちまち儲かる様な話をして呉れると思った。課長以上6~70人集め話をして貰ったが向井さんは頭は良いが話が下手な人でぼそぼそと話す。一つ丈覚えている事は「公私の別を明らかにせよ」と言う事。公私の別を明らかに出来る人間であればこの会社が不幸にして潰れても一生食いはぐれは無い。先ずそれを心掛けよ。講演が終りエレベーターまで送る時に「当社は見込みあるでしょうか」と聞いたら「うん見込みあるね。皆汚い靴を履いてやっていら~」と言った。 その年の10月に向井さんは吉田内閣の大蔵大臣に成りちょっと遠い人に成ったが年明けの夕方に電話があり今から行くと言う。現職の大蔵大臣が来るので恐縮して待っていたら6時頃に会社へ来て「この会社少しは良く成ったか」と言う。「お蔭様で少し良く成って来た」と30分程世間話して役所へ帰ると言うので今度は車まで送った。当然大蔵大臣の公用車が待っていると思ったら、差に非ず彼はタクシーに乗って来て待たせていてそのタクシーで帰った。これは向井さんの追悼録に書いたが半年前に「公私の別を明らかにせよ」と言われたが当社に来るのは私であり大蔵大臣の仕事では無いとしてタクシーを使った。当社の接待費は今週刊誌にも書かれ不名誉なる日本一。有用な接待は良いと思うが社内接待は全廃すべき。重役が海外出張したら土産物等も接待費に入っている。私が部長時代にある課の接待費をゼロにした。 課長はそれでは商売が減ると言うので責任は一切俺が負う、と実行したが商売は一つも減らなかった。その経験があるから敢えて言うが接待費を全廃したら堂か。少なくとも社内接待は全廃すべき。
私は何時も自分の精神の中に「会社は生きている」と思っている。会社の金を使って役にも立たない事をしたら会社は物言わないが「痛い痛い」と言っている。その結果は数字に出る。そういう考え方が無いと会社と社員が付き合って行く道は無い。その意味で是非社内接待を全廃して欲しい。仲間で飲んで会社の勘定に付けている人が居る。そういう金が積もり積もって接待費の可成りの部分を占めている事は事実である。

当社はペーパーが多く稟議書とか説明書とか大嫌いで読まない。若し必要なら全部1ページに書く習慣を付けて呉れ。諸君の月給は高い。高い月給であんなつまらない事を長々と書いているのはとんでも無い自覚の不足だと思う。自分がこれを書いているのにどれ丈の給料が掛かっているかを考える事が会社をいたわる所以でそこの自覚が非常に足らない様に思う。会議は30人集まってもその中でまともに応答出来る人は2~3人。後の人は寝ているか無反応。それは如何に無駄な事か。会議をやらなければ物事が決まらないのは以ての外。例えば寄付金の問題に対し「三菱の出方を見て」と言う答弁が返って来る事が多いがこれは会社がもう衰えている兆候。当社の寄付金だから当社が堂するかを決めるので三菱は関係無い。会議の問題も同じ事である。
現職の頃目立った事は海外出張する時にガイドブックみたいな厚い書類を作る。 例えば「ニューヨーク支店の現況」などと呉れるが書類を作る丈でも大変で業務部は何故人が多くて忙しいかと聞いたらあれを作るから、と言った人が居る。出張する人間は見識を持って行くべきで部下に書いて貰った書類を飛行機の中で読まないと行けない様な人は部長でも重役でも無いと思う。

問屋なども当社は後で非常に伸びる問屋を途中で切っている場合が多くその問屋は三菱に行き戻って来ない。東洋加熱は今は日本一の石油タンク等作る会社であるが、昭和30年業績悪化の時に当社は危ないと切った。彼は泣く泣く三菱に行って助けて貰ったから三菱から絶対に離れない。これは人間を見ていないからで人物の見方を諸君は注意して欲しい。見込みの無い会社に7千万も8千万円も金を貸し1年経ったら7億円に成る事が目に見えているのであればドンドン切るべきである。人間の見極めは一つの特殊技能でこれは商社として非常に重要なファクター。一目見て人間を判断しその人間の本質を 見定める位の眼力を養っていなければいけない。それは諸君丈で無く諸君の部下に身に付けさせねば駄目。人間関係の確立が重要であるが当社の人は内弁慶で物を相手に勝負する習慣がある。 世の中が変わる中で物を相手に相場を張っていたのでは駄目だし物を相手に内弁慶でやっていても駄目。我々は商人だから人間関係が広く且つ付き合う人に愛され、あの男の言う事を聞いて無いと損をすると思わせる事が必要。トヨタに行って自動車の商売をさせて呉れと言っても「又、来たか。煩いなあ」と成る。もっと違う処からの切り方、出し方をしなくてはいけない。商人として、人間としての愛され方や人間関係の確立、魅力の打立て方をもう少し諸君自身が身に付けないと人は付いて来ない。
好むと好まざるとに拘らず我々はハイテク産業に取組まねば成らない。当社もバイオを大分やったがハイテクをやる為には人間が居る。トップが何も分らずやれと言っても駄目でハイテクの人間がトップを握ってやって行ける様な会社を作らねば駄目。その分野の専門家を採用しその人に存分にやらせる為には別の組織でこの人が生きて行ける様に仕向ける事が必要。余り当社から紐を付けていては育たない。当社に関係会社で立派な会社が仲々出来ないのは something wrongで上手に管理しながら知識を持った人間にトップを取らせる事をやって欲しい。

未だ色々話し度い事はあるが時間が来たので止める。私の経験が役に立つなら何時でも話をするから遠慮無く連絡下さい。

<支社長>
皆さんが何かを感じ何かを掴んだかは分りませんが、私自身は物産生活の中で橋本相談役の身近で秘書として仕えた事が最大の財産だと思う。MBK LIFEの寄稿に際し原稿と今のビデオをお送りしたら一度執務室に来なさい、との事で12月3日の全店部長会で上京した際にお会いした。2日程前に腰を痛められたのに態々小職に会う為に出社された。
初めて橋本相談役にお会いしたのは小職が米国修業生時代で橋本相談役は会長に成られた直後。ワシントンでの財界人会議に出席された会長ご夫妻を半日市内観光にご案内せよ、との指示で出迎えに行ったホテルのロビーである。橋本会長は入社3年生の小職に「今日はお世話に成ります」と深々と頭を下げられた。市内観光は私事であり社員に迷惑を掛ける事へのお詫びである。その後、秘書室で一年間担当秘書として身近で今のビデオの様な含蓄ある言葉を数多くお聞きした。
日米南東部会に出席する途中、ロスで時差解消の為にゴルフをした。ロスの店が気を遣って新しい軽いクラブを購入して用意した。プレー後に橋本さんは「実に良いクラブだから是非買い度い」と言われた。小職は明らかに自分の為に新規で購入したクラブであるので会社に迷惑を掛け度く無い、との判断で購入すると言われたと理解している。唯、これから方々訪問するので恐縮ながら誰か出張者が居たら本店に届けて欲しい、とした。帰国後、3週間位で若手社員がクラブを持参して呉れたら「是非昼食に招待したい」と言われた。彼が固辞したら昼食時間に態々遠廻りして上野の「うさぎや」のどら焼きを買って来られ、これを彼に渡して欲しい、と言われた。ビデオにある「公私の別を明らかにせよ」の姿勢である。

当社には橋本さんの様な素晴らしい先輩が一杯居るはず。自ら求めて素晴らしい人々との出会いを得て、そこから銭儲けではない何か人間としての生き様の様なものを感じ取って欲しいと思って敢えて最後の全体会議でこのビデオを放映した。私自身は何回見たのか分らない。見る度に新鮮で平素忘れている事を思い出さされ原点に立ち返る。先般の室長会議で放映したらダビング希望が多数あった。このビデオを座右の銘として頂ければ最後に放映した価値もあったと思う。

以 上