第2話: パクリの名人こそ天才になる

東京オリンピックのエンブレム候補が発表になり一般の投票を参考に選定される事になりました。昨年、佐野氏の作品が盗作疑惑を招いての仕切り直しです。この話題を聴いて以前に知人が送って呉れたメルマガを思い出しました。        題して:「パクリの名人こそが天才になる」です。                                     大工さんだって金槌を手にして生まれてくるわけではない。どんなプロも最初は素人だ。 「日本を今一度洗濯いたし申し候」は坂本龍馬の言葉として有名だが実はこれはパクリである。幕末から明治維新にかけて日本を開国へ導いた賢者、肥後細川藩の横井小楠。龍馬は小楠と都合六回会っているがその内の三度は熊本にある横井小楠の自宅、「四時軒」を訪ねて教えを乞うている。そして聞いた話をそっくりそのまま使っている。 小楠は福井・越前藩主の松平春嶽の顧問として活躍し江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜と幕政改革の会議をする時に自説の「国是七条」を提示している。その後年に龍馬は「夕顔丸」船内で政治綱領「船中八策」を書いて幕府を終わらせて明治維新につながる大政奉還の筋書きを書いたことは有名であるが実はこの「船中八策」も小楠の書いた「国是七条」のそのままのパクリなのだ。 横井小楠に会うためにかの吉田松陰も萩から3度も熊本へ足を運んでいる。勝海舟は「氷川清話」の中で小楠の教えがなかったら今の自分はなかっただろうとまで言い切っている。

狂気を感じさせる強烈なヒマワリの絵とくればゴッホ。ドビュッシーが作曲でも影響を受けた「笛を吹く少年」を描いたマネも同じく。そのゴッホも遠い異国である東の果て極東「Far East」の葛飾北斎や安藤広重などの大胆で明快な色使いや影のない世界の浮世絵に大いに影響を受けた。ゴッホのアトリエには北斎や広重の絵が壁に架けてあったことはよく知られている。ヨーロッパでは大変な貴重品扱いされた柿右衛門などの磁器は遠い海の向こうまで運ぶにあたって高価だが丈夫な和紙の包装紙で包まれた。その包装紙にはなんと浮世絵が使われていたのである。 浮世絵を刷るには絵を描く絵師、板に彫刻する彫し師、何色もの色を使って各色ごとに何度も重ね刷りする刷り師が必要だが重ね刷りするときに数ミリ狂うだけで絵が駄目になる。正確に重なるためには基準線となる「見当をつける」技術を持つ匠の術が要だったから、かなりの刷り損ないや廃棄する失敗作が多かった。だが和紙は高価であるので捨てるにはもったいない。丈夫な包装紙にはもってこいだった。それに浮世絵師は絵が簡単に売れるものではなく生活に困窮して当時のポルノ絵である春画を作製していた。日本人の男根を巨大化にデフォルメした歌麿の絵は特に西洋では評判となりオ~・ウタマロ~!!の表現は英語にもなったほどである。    

千葉県房総半島の外房、太平洋の荒波が押し寄せる美しい海岸線に鴨川がありその町で日蓮が生まれた。海に出ると信じられないほどおびただしい天然の鯛の群れが押し寄せてきて海面が大きく波立つほどである。そこは「鯛の浦」という名所であるがそれは日蓮が誕生した「日蓮誕生寺」の海でもある。その港まちで生まれたもう一人の天才がいた。1752年江戸中期に彫刻がやたら上手い少年、武志伊八郎信由、「波の伊八」である。お寺などの建築には付き物の欄間。その欄間は芸術的な繊細な彫り物が多く残されている。波の伊八はめきめきと頭角を現し彼が彫った龍はほの暗い空間に浮かび上がってくる迫力がありどの作品も目を見張るものばかり。天才の作品は随所のお寺に収められた。千葉県だけでなく江戸からも呼ばれてトラさんで有名な柴又の帝釈天の欄間も現存している。中でも日蓮誕生寺の境内にある「伊八の館」館長、村田良宥氏が見せてくれたお寺の彫刻の写真に唖然とした!何と葛飾北斎の代表的な浮世絵である「波浦の富士」とそっくりの彫刻欄間がそこにはあった。大波が覆いかぶさる下方の遠方に富士山が見えるあの大胆な構図の絵である。北斎は何度も鴨川まで足を運んで「波の伊八」の教えを乞うていたとのこと。何のことはない北斎の構図は波の伊八のパクリだったのである。それがヨーロッパ文化ひいては世界へ大きく影響を与えていたとは驚きである。 パクリが悪いとはいっていない。素晴らしい手本があればこそ才能が開花できるのである。いくら素晴らしい手本を示してもそれをパクって新しい創造の世界へ展開させるだけの才能がなければ花も実もつかない。片やどれだけ大きな才能を持っていてもパクるだけの手本に出会わなければ始まらない。人生も同じこと。成幸するには成幸者に会え、ということである。ドビュッシーは武志伊八郎信由、「波の伊八」を訪ねてアジアの果てにある極東の島、日本まで来ている。 

如何ですか。今日のニュースで斬新なデザインで有名なフランク・ミューラーの時計とそっくりな時計を作った「フランク三浦」社が訴えられ裁判で勝訴しました。デザインは明らかに本物の真似だと思いますが「真似られるほどに素晴らしい時計だ」と誇りに思う度量が求められるのかも知れませんね。それにしてもフランク三浦と命名した発想に感服しました。